Monday, June 19, 2006

2006年 フィリピン訪問を振り返って。

                    
先日のフィリピン訪問での最大の課題は、私達が建てようとしているSBSの方針の元による学校をフィリピンに建てるのか、はたしてそれは適しているのかということだった。
フィリピンについて間もなく私達はマニラ市内の一部地区を藤村さん(桃山のOB・現在フィリピン在住)という方に連れられて歩いた。それは私にとって凄く印象的なものとなった。彼が私達に話したようにそれは、フィリピンを縮図で表したようなものだった。まず私達は、立派な家の立ち並ぶ、いわゆる高級住宅街の中を歩いた。そしてしばらくするとすぐ、貧困地帯というのだろうか、今にも崩れそうな家が密集して人が生活している路地裏のようなところをくぐり抜けた。しかし予想外にもそこでの人々はみんな生き生きとしていて、どうも私には彼らが貧しいようには思えなかった。実際問題、彼らは貧しいのか。それさえも不確かであった。と思ったのも、生活水準を日本人である私達と比べれば、かなり低く思われるが現地で暮らす彼らにとってはそれが普通であるのだとも考えれる。だから私は、フィリピンでそのように暮らす彼らの生活をかわいそうなどと否定的な気持ちを持つことは一切なかった。反対に日本人が失っているものを彼らは持っていたりする。あえて、フィリピン人と日本人を見比べるなら、日本が国の発展ともに失ってしまった、人と人との密接な関係などといったものを、フィリピンはいまだに持ち続けている。フィリピンは人の温かさを感じることができる。凄く良い国だと思う。彼らのそのような暮らしをまったく変えようとは思わない、その中で私が気になったことというのは、土手沿いに溢れんとばかりにいた子供達、彼らに充分な教育が行き届いているのかということだった。
2日目、去年開校されたDaycareセンターを訪れた。建てられた学校は凄く大事に使われていたし、教育のほうにも色々な工夫がなされていたと思われた。そしてしばらくの間CIWESTのスタッフの方々から、色々な話を聞くことができた。プライベートスクールとパブリックスクールの違い、パブリックスクールには入学試験が必要だということ。そのための指導をディケアセンターや幼稚園で教わるということ。ということは入学試験の無いプライベートスクールに入学するのなら、ディケアセンター・キンダーガーデンでの教育なしでも小学校に通えるということ。そして、他に、私は、フィリピンには無償で教育を受けることができるという立派なシステムがあることを知った。すでにそのような立派なシステムが存在するフィリピンに、無償で教育を受けられる学校を建て、教育を受けられない子供達に教育を。といった概念をもつSBSによる学校は必要なのであろうかと、再びフィリピンでの学校建設の必要性に正直、疑問を持った。
またディケア-センター・キンダーガーデンの必要性も詳しく知っていきたいというのが今、私が思うことです。私はふと1年前宮本さんが、「とうろう」「かまきり」などと言い表し、小学校にもあがれない馬鹿な法律ができる可能性があるといっていたことを思い出した。その内容は正直あまりおぼえてはいないが、もしそれがディケア-センター・キンダーガーデンを卒業しなければ小学校に進学できないというものであるなら、ディケア-センターとキンダーガーデンの必要性は最も重要なものとなるだろう。またもし小学校に入学するまで幼稚園に通わなければ、8歳まで教育を受けることはないという。それもどうかと思った。私が8歳の頃といえばもうすでに小学3年生であって、それなりに読み書きができた。その頃まで勉強を一切していなかったと考えると教育を受けているのと受けないのではかなりの差があるだろう。その点でも、やはりディケアセンターやキンダーガーデンの必要性は重要かもしれない。また、まだあまりディケアセンターとキンダーガーデンの違いがわからない。ただわかっていることは、キンダーガーデンが教育省の下にありディケアセンターが政府の下にあるということ、キンダーガーデンはディケアよりも、Math,Englishときっちり別れているとか。キンダーガーデンがパブリックSchoolでディケアがプライベートSchoolのようなものなのか。
3日目、車が走る中たくさんの幼稚園、小学校、高校を見かけた気がした。これだけの学校を見て、学校は足りていないといえるのかと疑問に思った。その中で農村にあった小学校とHighSchoolの2校を訪れた。小学校は地域の人のドネ-ションによって建てられていて、高校は日本のJICAの寄付によって建てられたものだった。この2つの学校に共通した問題点は、生徒の数に対して、先生の数が不足していること、水の需要、排水ということだった。またこれらの問題はこの2校に限らず多くの学校で問題とされていることがわかった。ボランティアからなるディケアセンターの教員を探すのはCIWESTでも苦労しているということ、私達も学校を建てるとなれば当然このような問題も視野に入れなければならない、と気づかされた。クラスルームが足りていないと話した先生に私達がこの周りには学校は他にもありますか?と聞いたとき、あります。と言っていた。なぜ彼らはその学校にいかないの?と聞いたら先生は、分からないけど、彼らはこの学校にただ通いたいの。と私達にそういった。私は何時間もかけてこの学校に通う理由の中に、教育のレベルや学費、先生の気質などといったものが関係しているのじゃないかと思った。なら、私達に求められているのはよりよい学校であることが大前提である。生徒が通ってくれなければ意味が無いのだから。しかしそこにまた問題が生まれる。それは生徒が1つの学校に集中するためか、とても1つのクラスには収まりきらないのである。そこで、フィリピンの多くの小学校・幼稚園(ディケア)では、2部制、あるいは日替わりといったかたちを取られていた。そうするとやはり充分な教育を受けることの出来る学校は足りていないのだと気づく。この日他にディケアセンターと小学校を訪れた。ここで気づいたのはたいていの小学校は大抵、ディケアセンターやキンダーガーデンが近くにあった。つまりパブリックの小学校にはいるには試験が必要で、それを学ぶディケア、キンダーガーデンをすでに小学校自体で用意されているようだった。私達がみたディケアセンターの中には14人の子供達の収容で限界だろうと思われる、とても小さなディケアセンターがあった。このような場合も少なくはなさそうだ。しかしこのディケアは近いうちにCIWESTによって建て直されるのだという。より多くの子供たちがパブリックの小学校に確実に入学することを考えればとても必要なものだと思う。このようにして、私達はこれまで、何も無かったところに学校を建てるのではなく、元々学校があったところにより良い学校を、より良い教育のために、または地域の人々のための集いの場として活用されるためにと言って、建て直されたという場合を多く見てきた。私自身の考えでは本当に何の教育も受けられずにいる子供達に教育を。といった考えだったので、このまま話を進めていくと違和感のようなものを感じるだろう。やはり教育の行き届いていない地域のような、もとに何もなかったところに新しく学校をたてることは私達には不可能なことなのか。私達の活動は生徒によって進められてきたものがある。やはりこの活動に私達、学生が貢献できることには限りがあるのではないかと思わされる。
私達はマリアパースに向かって20分ほど歩いた。その道のりはとても危険であったが、小学4年生?からはその道を毎日通って、学校に通わなければならない。だからと言って徒歩20分以内の範囲にもう一つ学校を建てる必要性についてはなんともいえない。たどり着いたのは、去年、私がホームステイしていた村だった。そのとき私はここで、ディケアのオープニングセレモニーに参加していた。1年経って、去年より、物が豊かになっていたり、花がキレイに植えられていたりした。やっぱりここも大事に使われていて、また去年子供達に直接、寄付したノートが数字で埋め尽くされていたのを見たとき、凄く嬉しかった。寄付したものがきっちり使われていたこと、見て確かめるというのは大切なことなのかもしれない。わたしたちの存在価値を実感することができた。実際、私達は直接、文具用品を寄付したが、もしそれがお金だけを直接、寄付することになったら果たしてそれはちゃんと私達が望むように使われるのかは確かではない。教員の給料の一部となってしまう可能性もあるのではないかと思う。また寄付金を続けてあげれば彼らは寄付金に頼ってばかりになる。果たしてそれがかれらのためにとっていいことなのか。この日私は、去年と同じ家に泊まらしてもらった。そしてホストシスターから彼女の学校の話を聞くと、彼女はパブリックSchoolに通っていて、そこの生徒数は大体500人である。しかしクラスルームも足りているとのこと。そして毎日1時間かけて、ボートと徒歩で学校まで通っている。とても遠いところに学校はあるのだろう。しかしそこで私はまた1時間以内の範囲に学校を建てる必要は無いと思った。しかし、距離が遠すぎると、またそれは問題で、学校が無償であるにも関わらず、通えない子がいるといった問題があった。だとすると、学校を建てる必要のある地域は数をしれない。
次の日、違う村のディケアを訪れた。そこにはたくさんの立派な建物があったがあれはなんのためのものだったのか??わたしはこの時、この村では先生をしばらく待たなければなかったので、少し一人で散歩してみた。すると私を見た子供達が何十人も集まってきてその近くにいたお母さんに向こうで卒業式をしているよ、一緒にいかない?と誘われた。そのお母さんはどこかの学校の先生であった。彼女は私が何でここにいるのかと聞いてきたので、私は新しい学校を建てるためのリサーチをしにきた、と答えた。そう答えるとすぐに彼女は私達の学校は机が足りていない教科書が足りていないと次々に私に訴えてきた。学校につくと、クラスルームが足りていないと。しかし、4つほどあった校舎のうち2つはすでに寄付金によって建てられたもので、私にはどうしても、いままで見てきたどの学校より立派な学校に見えた。訪れた数々の学校の中には、いすが足りないから生徒自身がいすを作っている、又は家から持参している。または教材が足りないから、教材を作ったと話す先生がいた。しかしこの町で訪れたこの学校では不足分を完全に寄付に頼っているように思えた。これをみて、私はただ寄付をするだけでいいのではなくて、それに伴って彼らにも適度な努力やまたは地域内での協力があって、また寄付した学校を継続させていってもらってこそ寄付することに意味を持つのではないかと強く思った。寄付する私達は、一時的に彼らを手助けするのであって、彼らの将来までもを支えていく役割はないと思ったから。彼ら自身の自立性を促す事が大切であると思う。

私は今回のフィリピン訪問で、フィリピンに学校を立てる必要性というものを多々、疑問に思った。フィリピンの彼らよりも、遥かに厳しい環境にある子供たちで暮らす子供たちがいるに違いない。しかしそこにはわたしたちには抱えきれない、もっと難しい問題があるだろうとも思わされる。私自身、アジアにおいて発展途上国といわれる国にはフィリピンにしか訪れてなくて、他の国にいけばまたそこで見えてくる新しい色々な問題があるのは確か。また、アジア以外の国々でも多くの発展途上国といわれる国がたくさんある。彼らは教育という前に、明日を生きれるか。という深刻な問題を抱えているはずだ。

フィリピンというそれほど離れた国ではないところで、これだけのことを学べてきたのは高校生であるわたしたちにとって、かなり貴重だとも多々実感する。やはり今、高校生である私たちの学校建設Projectにおいて、出来ることはフィリピンでの活動なのかもしれない。                 
                 School By School Project 代表 富平 志保美

BAYANIHAN

フィリピンには「バヤニハン」と言った言葉がある。これはフィリピン人独自の助け合いの精神を示す。英語のShare (分かち合い)に相応する。これに伴いフィリピノのホスピタリティ(もてなしの精神)もまたすばらしいもの。
フィリピンに行けば必ずとも、家族や親族をとても大切にし、隣近所で助け合って生活しているという姿を見かけることができる。どんなに貧しい生活に強いられていても、人との深い繋がりを持つ彼らはとても幸せそうに見える。これは、もはや日本においては消えつつ関係のように思い、淋しくなる。
実際私はフィリピンでは多大な歓迎を受けた。ご馳走、高級ホテルでの宿泊、。
しかし農村でのホームスティはそんなご馳走とはかけ離れている。正直、いつもつらいものがある。コーヒーはどこまでも甘くて、蟻が浮いている。出てきたおかずにはハエがたかっていて、油の量が半端ない。そして毎食このコーヒーと魚か卵、そして味がないご飯かパン。毎食これで、かなり質素なので、やせるのかと思うねんけども、、フルーツの砂糖漬けから、バナナの炒め物まで、色々と薦められ断れないので、結局はすごい糖分を取ることになって、太る。
断れない理由。。それは彼らのホスピタリティと受け止めることが大切だから。料理がどれだけまずくても、嫌な顔は見せれない。というのも彼らが私たちにもてなしてくれるご飯というのは、全くをもって彼らが日常で食べているものとは異なるらしい。コーヒーと魚とご飯があれば、それだけで彼らの精一杯のおもてなしである。そんなことを知っていたらどれもおいしく食べれちゃうのも事実。実際味にも慣れてくる。でも、そしたら彼らは普段何を食べているのか?・・信じがたかったが、彼ら葉を焼いて食べていることも少なくないのだという。私はまだ未体験や。
私は農村でのホームスティを経験して、それなりに生活の厳しさや、文化の違いなどといった知識は付いたとおもってる。しかし、実際のところ私は本当の貧困というのを経験していない。
貧困地域に暮らす彼ら理解するには、もてなされる立場を超えた関係が必要。
1週間2週間などといった短期間ではなく、長期間にわたって彼らと共同生活をすることが、国際理解の手段であって、国際協力であるはず。